駒野城

別名-  付近住所 岐阜県海津市南濃町駒野1317-1 現在 城山小学校
2014/4/2 案内板アリ 日本城郭大系


高木氏  正暦年間(990〜994)船岡山と称されていた。この小丘に初めて城を構えたのは瀬戸道明寺であったと伝えられる。文治・建久ねんかんには守護職土岐氏が城を築き守将を置いた。承久年間伊藤裕朝が守将となり、十二代裕長に至り天文16年滅亡した。その後は斎藤道三の客分高木彦左衛門が居城していた。
 織田信長が領国巡視を行った時駒野城に入ったともいう。信長没後、信雄方についた駒野城の高木貞利とその一族は天正12年(1584)秀吉方の筒井順慶らと戦ってこれを退却させた。その後秀吉の天下となったため高木氏は開城し、一族は離散した。
 慶長5年(1600)石田三成が、南濃を巡察した時桑名から大垣への守りのために、塁壁を構えさせたといわれる。
 関ヶ原戦後駒野城は廃城となり、高須藩松平氏の所領となったが、明治35年城山小学校校地として寄付された。

    


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